あんよね。

片面印刷チラシの裏みたいなもの。

父とは。1

ちと、父の話をしてみよう。

私は、はっきり言ってファザコンだ。

父は、カールおじさんに似ている。愉快な父だが、筋にはうるさい。 
そんな父の父、私の祖父は戦没者である。 
数え32歳でサイパン沖で眠りについたので父には、ほぼ自分の父の記憶がないようである。


父が青年団の頃結成され、未だに続いている会で記念に作った本に寄稿した
父の自分史ではじめて知ったことだが、小学2年の頃、学友が自然災害で目の前で
命を落とすのを目の当たりにしたようだ。
それもあるからか、父は人と話すのが大好きだ。


高校は家庭の事情により中退したが
その通った短い期間、どうも演劇部で役者を目指していたようである。
その証拠に、妙な扮装をした写真がある。
笑いのある芝居を想像するが、本人は至って二枚目を目指していたそうだ。
オーディションも受けたらしく、落とされた理由は本人曰く、
試験官に目指す俳優は?と聞かれ

高倉健さんです!』(大ファン)

と、言ったから。 などと、いう愉快な父である。


その父が、やっぱり息子なんだなぁと思ったときがあった。 
祖母が亡くなる3ヶ月前ころ、ひょこり、祖父の日記がでてきたのだ。
今思うと、とても不思議なのだが、祖母を迎えにきたのかも知れない。
祖母もその日記の存在を知らなかったのだから。

祖母と結婚する前から書かれており、戦争が始まって
そろそろ自分にもその波が迫っている時まで書かれていた。
とびとびの日付で、のんびりと日常が綴られていた。
それを、老眼鏡をかけ寝そべりながら、一心に大事そうに
読んでいる父の姿があった。

その姿に、とても見せてくれとは誰もいえなかった。
父が読み終わったら、読ませてもらおうと


祖母の葬儀の後
時に、傍らで祖母が何て書いてある?と聞きながら
声をだして読んで聞かせていたと実家にいる姉に聞いた。

父親の思い出がほぼない父だが文字で父親と再会できたのだ。
とても幸せなことだと思う。


そして、その父の子供である私も幸せだと思う。