あんよね。

片面印刷チラシの裏みたいなもの。

日常のこと。

父とその周辺の人々がみえてくる話がある。

ここからは、姉および妹関係者から聴いた話を書いています。事実に基づいてはいますが、個々の胸のうち、細かな動作は多少想像が入ってますので、ご注意下さい。


何年くらい前の話になるだろうか。
妹の大学時代の知り合いの男子が 夜中に○○県内をバイクで走行中転んだ。
どうやら、彼は九州内バイクの旅をしていたようである。
ところで、彼は妹の元部活仲間で彼氏ではない。
モチロン、妹以外、我が家族の誰とも面識はない。
当時、妹は既に学校を卒業し関東某所に住んでいた。
なのに、何故か、深夜、我が実家の電話が鳴った。

夜中だ、当然皆就寝中だ。
ちなみに、当時は、父、母、姉2、ばぁちゃんがいた。

まず、我が実家で電話に出るのは、姉2と決まっている。
いなければ他の人が出るが、何故か姉2が出るというのが
私が小学3年生くらいから当然の決まりごとである。

当然だが、姉2が電話にでた。

『はい、もしもし、○○ですが。』夜中なのに、いつもどおりの姉2、流石は菩薩。やや、寝ぼけぎみ。

『あ、僕、○○さん(妹の名)と大学で一緒だったんですが、ちょっと事故してしまって○○に知り合いがいないもんですから、どうしたらいいかと思って。』

寝ぼけながらも、姉2、これは大事と

『で、怪我はないんですか?』

『いえ、ちょっと擦り剥いた程度で、自分で転んだだけなので、ただ、バイクも故障してしまって動けないので。』

姉2、父に判断を仰ぎに、父母の部屋へ伝令。
ここから、物語は始まる。

姉2からの伝令を受け、父が電話にでる。

『○○の父じゃけん、どんげしたとね?今、何処へんじゃろかい?』

父は、バリバリの○○弁を操る、義理の兄のことを当然のように”ボジョ”といい、義理の弟のとこを”シャチ”というくらいの○○弁の使い手である。果たして、彼に通じたかどうか疑問だ。

『バイクが転んだときに壊れて動けなくなって、今、多分真ん中くらいだと思うのですが。』

オォィ、真ん中くらいって、わかりませんが?どうも、バイク青年も混乱しているようであるが、真ん中くらいで、父にはわかったようだ。はっきり言って神様なんじゃないかと思う。

『あぁー、じゃあ、○○のちっと先じゃね、ここからやと、1時間はかかるね、ちと、まっちょきないよ、こんまま。
おおーい、姉2、ユタカ君(仮名)とこ何番かね?』

『おとーさん、今何時おもちょると?ユタカ君とこも寝ちょるやろがね。』姉2、あなたは正しい。

『じゃけん、ここかい行くより時間はかからんがや、着くまでちっと、先に行ってもろちょかんと1時間も怪我しちょっとん大変やろがー。』父、もう既にユタカ君了承のつもり。

『まー、そりゃそーやけんが、おとーさんが電話してよ。うち、ユタカ君としゃべったこつないけん、おばちゃんとならあるけん。はい。』姉2電話番号を渡す。

『あ、あんねー、親戚が近くにおるかい先に行ってもらうわ、そこんおんないよ。で、近くに何がみゆるね?』父、バイク青年に問う。

注:ユタカ君とは、父の従姉妹の子で事故現場近くに住んでいる。

その頃には、母、ばぁーちゃんも起きてきていた。

『こんげな夜中にユタカ君に悪いがね。』と母は言う。
『じゃけん、はよ、行ってやらにゃ、真っ暗やろし、初めてんとこやかい、心細いやろね。ユタカ君なら、大丈夫やろ。じゃけん、おるやろかね?』と、ばぁーちゃん。

とりあえず、青年とのやりとりで、詳しく場所が特定できたようである。
早速、父がユタカ君に電話をする。


ここで再度確認するが、青年と父、母、姉2、ばぁーちゃん、ユタカ君は一度も面識がない。
それどころか、妹の知人だと初めての電話を受けただけである。
はたしてユタカ君は、家に居た。
二つ返事で、現場へトラックででかけてくれたようである。
確認しておくが、夜中である。

さて、実家でも、出かける直前である。
父は、ダリアメを飲んでいたので、母が運転手である。
さて、出発だ!と言うとき、電話が再び鳴る。

どうやら、ユタカ君の家の本とに近くだったらしく、
おばちゃんからだった。
バイク青年の怪我は幸いにも軽く、今日は遅いし、ユタカ君家に泊まることとなったので、もう深夜だし、逆に何かあると心配だから、明日朝になってからおいでという電話だった。

素直にソレに従う我が家。

翌朝、父母ともにユタカ君の家へ、お礼を言いに向かう。
バイク青年も元気そうである。

良かった良かった。めでたし、めでたし。
皆、笑顔。

その後、その話を聞いた姉1の夫が一言。
『○○ちゃん家ってもんだねぇ。』

事後報告を受けた妹に、バイク青年がこっぴどく叱られたのは言うまでもない。


父とその周辺の人々は、こんな感じだ。
困った時はお互い様、これが本との意味で心根にあるのだと思う。
とても、淡々と当たり前のように、突然の出来事に出来る範囲で行動する。
何だろうか、数年前のばぁちゃんの葬式のとき、つくづく感じた。
我が家は、会社経営をしているわけでも、勤めているわけでもないし、地元の有名人でも名士でもない。 ただの専業農家だ。
ましてや、元々は、ダムに沈む村から、戦後ばぁちゃんと父と若くして亡くなった父の妹と○○に出てきた。 (じぃちゃんはかぞえ32歳で戦死。)
近い血縁も少ないから、母が、あんまり人が少ないと寂しがるかねぇと心配していた。(ばぁちゃんは、人好きだったので)
連絡したところは、本とに僅かだ。
が、思いがけないほど沢山の人がお別れにきてくれたのだ。

近所の方、町内のゲートボール仲間、ばぁちゃんの知り合い父の友人知人はもちろんのこと、母方の私達の従姉妹にいたるまで県内はもとより、日本各地からも、わざわざだ。
皆、自らばぁちゃんと直接お別れしにきたいと思ってきてくれていた。
かなり、孫としては有難かったし、嬉しかった。
スゲーね。ばぁちゃん。

なんだか、葬式なのに感動してしまった孫。
今、思うと、この一件にも顕れていると思う今日この頃である。

 

                     終わり