こんちは。
昨日、里芋の話を書いたらちょっと思い出したので書いてみる。
妹が大学生か、卒業後か定かではないけど若い頃の話。
その時は、私も妹も実家に帰省中で地元の新聞の記事と言うかコラムと言うか
読者のページというか、とにかく何か特集のテーマの話をしてたんですよ、えぇ。
地方の優秀な子が都会に出て田舎の親御さんはかわいそうだと言う地元以外から
来て住んでる主婦の方の寄稿が掲載されていたんですよ、えぇ。
その記事を妹と2人で、何か、違和感あるよねーと話していたんです、はい。
私個人的には、家族って形変わるのは当たり前というか、
だからこそ良いと思っているんですよ、えぇ。
色んな形があるからこそ、維持できると思ってて。
この寄稿されてた方にとっては、家族は一緒に住むべきと思っているからこそ
そのような感想を持ったのだと思うけれど、それが全てではないので
積極的に外に出ろ!と言う方針の家もあるだろうし、
家縛りのある由緒正しい家柄の一族を存続させるのが第一の方もいるだろうし、
子供がある程度成長して家を離れるタイミングなのなら、近くだと
田舎あるあるで情報が入りすぎるから、しなくて良い心配もして
口出ししたくなっちゃったり、手を出したくなっちゃったり実際行動に移して
より複雑になっちゃうより幸せな気がするけど。とかさ。
少し距離があるからこそ、客観的になれて気付けることがあったりとか。
近くにいるから看取りが出来るのかと言ったら出来ない事もある訳で。
出来る形で出来る事を当事者たちがすればよいのであって。
とにかく、離れているからかわいそうで近くに居るから幸せとか
その方にとってはそれがイコールなのだろうけれども
少なくとも、妹と私にとってはイコールではない訳で。
色々、話してたなぁと思い出しましたよ、えぇ。
まぁ、幸せの形は、当事者たちが作っていくものでそれぞれで良いのだという事で。
じゃ!